稲盛和夫氏の経歴 ビジネス書作家としても活躍する実業家

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稲盛和夫氏は、素晴らしい日本の経営者や若者を育てていく事に強い関心をもっており、人々のメンタルを成長させる事に貢献してきました。

実業家の中には自分の会社の経営だけに専念しているタイプの人もいますが、そうではなく広く社会に影響を与えている稲盛和夫氏の経歴を追います。

 

稲盛和夫氏のプロフィール

 

昭和7年(1932年)に九州の鹿児島県で生まれた日本人男性実業家です。
幼少期は病弱な子供でしたがそれを乗り越えて逞しい青年となり、高校卒業後に鹿児島県立大学・工学部に入学して有機化学を専攻しました。
卒業後は県内の企業には就職せずに京都の企業に就職し、その後独立。

昭和34年に様々な人物の出資を受けて京都セラミック株式会社を設立します。

当初は経営に苦労しましたが、次第に稲盛氏の優れた経営能力と哲学が社員や取引企業に受け入れられるようになり、年々企業規模が拡大していきました。

昭和46年(創業からわずか12年)には京都・大阪の証券取引所に上場し、翌年には東京証券取引所にも上場を果たします。

昭和57年には京都セラミック株式会から京セラ株式会社に社名を変更しました。

昭和59年にはKDDIの前身である第二電電を創業して通信事業にも参入し、京セラと共に第二電電も年を追うごとに成長していきます。

同年、工業分野で目覚ましい活躍をした国内・海外の人物を表彰する「京都賞」を創設し、この賞は高い権威を持つ世界的な賞にまで成長しています。

平成9年に京セラ会長を退いてからは若手経営者向けの勉強会「盛和塾」を開設し、経営指導者として活動するようになっていきました。

京セラの経営から離れてからはビジネス書・自己啓発本を多数執筆しており、平成16年に発行された「生き方」はロングヒットを続けてミリオンセラーとなります。

「生き方」が大ヒットして以降は、「働き方」「考え方」「ど真剣に生きる」など出す作品それぞれが大ヒットするようになりました。

【書評】著:稲盛和夫「生き方 人間として一番大切なこと」

2018年11月3日

 

平成23年、もう会社の経営には携わらない方針だったものの80歳を前にして、熱烈オファーを受けて怠慢な経営で会社の存続が危機的だったJAL(日本航空)の会長に就任します。

その後、様々な現場に顔を出して社員たちの意識改革などに努めて見事に数年でJALを復活させ、一段落してからは会長職を離れて名誉会長となりました。

 

稲盛和夫氏は人が長期的に成功する秘訣をよく知っている

 

日本のビジネス史の中では様々な社長が成功を収めてきましたが、経営能力だけが高くて人間性などが伴っていない場合は短命に終わる事が繰り返されてきました。

しかし、稲盛氏は経営者というものは経営能力が高いだけではなく、併せて人間性・思想も成長させていかねばならない事を繰り返し本や講演にて説き続けています。

そんな考え方を参考にして経営にあたった人達は決して短命に終わることなく経営者として長く成功し続けており、大事な気づきを与えてくれた稲盛氏に皆感謝しています。

「生き方」、「働き方」などの本の中には、成功の秘訣が詰まっていて、各作品は費用対効果が高く、稲盛氏の考え方が集約されています。

【書評】著:稲盛和夫「生き方 人間として一番大切なこと」

2018年11月3日

 

稲盛氏が大事にしている「利他の心(自分ではなく他人の利益を優先する)」という考え方は、特に若くて未熟な人ほどなかなか実践できる事ではありません。

しかし利他の心を持って生きていると中長期的には人が自分についてきてくれる事や、いざという時に助けてくれる事もわかり、この思想を知る事ができて良かったです。

 

zabi
マネタイズをずらすということですね。ちょっと違うか。

 

今までの自分の人生の中で、稲盛氏のビジネス書・自己啓発本を繰り返し読んできた事で色々と良い事が起きてきたため、稲盛和夫氏にはとても感謝しています。

経営者としてのレベルは本田宗一郎・松下幸之助と同じくレベルにあるといえる稀代の実業家です。








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