多くの実業家が注目する若手として必ずその名が挙がるのが前田 裕二さんです。
この前田 裕二さんとはどのような人物なのでしょうか。
そこで彼の経歴を紹介するとともに、過去のエピソードなども紹介することにします。
華麗なる経歴

SHOWROOM株式会社代表取締役社長の前田 裕二(まえだ・ゆうじ)さんは1987年東京生まれです。
2010年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年にUBS証券株式会社へ入社。
2011年からはニューヨークに拠点を置くUBS Securities LLCへと移り、機関投資家向けのエクイティ(株式)セールス業務に従事。
2013年5月に就職活動時に知己を得た株式会社DeNAの南場智子からの誘いを受けDeNAへと入社。
同年11月に“夢を叶える”仮想ライブ空間「SHOWROOM」を立ち上げます。
2015年8月には同事業を分社化、SHOWROOM株式会社を設立。同年にはソニー・ミュージックエンタテインメントからの出資を受けて合弁会社化。
以降、SHOWROOM株式会社代表取締役社長として同事業を展開。
著書に『人生の勝算』(幻冬舎)『メモの魔力 The Magic of Memos』(幻冬舎)があります。
経歴からはわからない壮絶な幼少時代

次世代を作るカリスマ経営者の1人と言われる人物。
音楽プロデューサーの秋元 康さんや実業家の堀江 貴文さんといった、そうそうたる面々から「天才」と評されていることからもその注目度の高さが分かります。
早稲田大学政治経済学部を卒業後にUBS証券株式会社へと入社。
そこからたった3年で創業といった経歴からもその超人ぶりが伺えます。
これだけ華々しい経歴の持ち主だと、さぞかし裕福な家庭で育ったんだろうと勝手に想像していましたが、実は前田 裕二さんの幼少期は驚くほどハードな人生だったようです。
前田 裕二さんは母子家庭で育ちます。
物心つくころにはすでに父親がおらず、母の手ひとつで育てられていたそうです。
そんな母親も8歳の頃に死去。
当然生活できるはずもなく、10歳年の離れた兄と一緒に親戚の家を転々とする日々を送っています。
こういった複雑な家庭環境もあって、小学2年生の時期は全く学校に通えず、いまだに九九が苦手とのこと。
お金を稼ぐことが何より大切と感じ、10歳の時に近所のコンビニに働かせてほしいと掛け合った結果、けんもほろろに断られたそうです。
そんな暮らしに疲れたのか、次第にひねくれた考え方をするようになっていったと著書の中でも語っています。
思春期の頃にはグレてしまい、警察のお世話になったことも。
そんな多感な時期を支えてくれたのがお兄さんだったそうです。
生活を支えるために働いてくれている兄の影響を受け、それまでネガティブだった思考が180度反転し、運命なんかに負けたくないといった心境に。
そこからは心機一転、猛烈に勉強を重ねて英語もマスターし、受験では見事に早稲田大学政治経済学部へと合格しています。
証券会社に入社後は毎朝5時出勤を心掛けるなど、周囲が驚く猛烈サラリーマンだったそうです。
その間に尊敬できる様々な先輩と出会い、成長することができたと語っています。
ただ、入社2年目に親類の訃報に触れ、人生について深く考えさせられたそうです。
その時に思い立ったのが起業。
そこで親交のあった株式会社DeNAの南場智子さんに相談したところ、経験を積むためにDeNAに来ることを進められ入社。
そこで様々なアイデアやプランを練り、同年にも“夢を叶える”仮想ライブ空間「SHOWROOM」を創設。
そして現在はSHOWROOM株式会社代表取締役社長として同事業を展開しています。
以上は波乱万丈な幼少期を過ごした前田 裕二さんの経歴のほんの一部です。
ただ、これだけでもかなりすごい人物だと感じますね。
前田 裕二さんを知る人の多くが「あんなイイやつ見たことない」といっているのが印象的です。
実際さまざまなインタビュー記事を拝読しても、その人柄の良さをひしひしと感じます。
とにかく比喩表現が上手く、自分の考えを相手に的確に伝える能力を持っている人です。
このように人間的にも能力的にも優れた点があるからこそ多くの人を惹きつけるのだと感じます。
コメントを残す