責任感が強すぎて、自分から行動を起こすことが苦手ではありませんか?
私はそうなのですが、そうだとしてもご自身で気付いていない方もいると思います。
適度な責任感ってなんだろう?
人それぞれ、置かれてる環境が違うので「責任感」の適度さも変わってきます。
例えば、昔、校閲のような仕事をしていたのですが、この仕事の場合、一語一句間違えてはいけません。
なぜなら、自分が承認をした資料が、印刷され、全国に配布されるからです。
「1文字間違えていました」では通りません。
資料を回収したり、いろんな人が関わったり、会社の信用の欠落など、損失は計り知れないからです。
逆に、ベンチャー企業を立ち上げて、お金もない、人脈もない、何もないときにはどうでしょう?
仕事の話がきても「この仕事はやったことがありません」「わかりません」とは言ってられませんよね。
何が言いたいのかというと、適度を知った上で、その場その場で使いこなすのた正解なのです。
慎重にする場面と勢いで進める場面、それぞれで責任感を使いこなして人生をハックしましょう。
責任感って怖い。人生を破滅に追い込むツール。

なにかの仕事に対して、完璧に抜かりなく作業をする。
これはとても素晴らしいことです。
しかし、逆に考えると、「完璧に出来る作業しかやらない(やれない、受け付けない)」ということ。
これはかなりの機会損失です。
良き古き日本文化と言えますかね。
でもですよ。このままですと自分にとっての新しいことを生み出せなくなってしまいます。
となると、スキルも経験も増えず、生きる化石、いや、生きれば生きるほど退化してき、その先で気付いてももう時すでに遅しとなります。
そうならないようにしようと言うお話です。
責任は取れない。取らない。

極論、全ての責任を取ることは不可能です。
例えば数万人規模の大企業の社長がいるとしましょう。
その会社で大きな決断をします。なんでもいいですが、会社の方向性を左右することです。
そしてその決定に他の役員や部長、課長以下平社員までついていくとします。
でもある時、平社員が「これは私では対応できません」と言ったとする。
社長、助けられますかね?
方針を決めた以上、無理だと言っている社員にはレクチャーするのがスジですよね。
でもぜっっっったい社長はレクチャー出来ません。
大企業は事業が多岐に渡っており、その事業のそれぞれの細かいタスクに対して社長が理解していないからです。
自分の方針のせいで困っている平社員、助けられない社長。
これって責任取れていると言えますか?
このように、責任って取れないことがほとんどです。
自分本位で進められる小さなことだと、自分がやればいいだけなのでコントロール出来ますが、他人が関わる範囲が大きくなればなるほど、責任は大きくなるのに、取れなくなります。
不思議ですよね。
つまり、あなたがやろうとすることが大きければ大きいほど責任は取れないので、消極的になる必要なんてないんです。
「こうしよう(全責任は取れないけど)」でオッケー。
無責任のように聞こえるけど、深掘りすると不可能なことがわかるので。
逆に全部の責任を取ろうと全ての仕事を理解しようとすると、人生で完結することは無理です。
他の方が何十年もかけてプロになるのに、何でもかんでもあなたがプロになれるわけないですよね。
なので、「他の社長は全責任取れないから、自分も同じように責任を取れないのが当然だ」と覚えるのではなく、「責任を取ろうとすると人生で完結できないから、他の社長と同じような選択をする」と理解してほしいです。
まとめ

少しは気がラクになりましたか?
もう一度言いますね。
「他の社長は全責任取れないから、自分も同じように責任を取れないのが当然だ」と覚えるのではなく、「責任を取ろうとすると人生で完結できないから、他の社長と同じような選択をする」と理解してほしい。
だから
「こうしよう(全責任は取れないけど)」でオッケー。
積極的に責任を取って、豊かな人生にしていきましょう。
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