アスレチックトレーナーとして活躍中の山田知生の経歴や人柄についてまとめました。
経歴

山田知生は、1966年に東京都で生まれました。
元々はプロのスキー選手でしたが、26歳の時にアメリカのブリッジウォーター州立大学に留学したことをきっかけにアスレチックトレーニングについて学ぶようになります。
その後サンノゼ州立大学大学院に進んだ彼は、アスレチックトレーニング及びスポーツマネジメント学科修士を取得して、2000年からはサンタクララ大学で本格的にアスレチックトレーナーとしての活動を開始します。
そのキャリアが認められた彼は、2年後にはスタンフォード大学スポーツ医局へと移り数々の臨床経験を積むこととなりました。
スタンフォード大学は世界最強のスポーツ大学とも称されており、各国から有望株のアスリートたちが集結する名門校として有名です。
全米大学体育協会のランキングで20年以上連続して総合1位を獲得していることからも、そのレベルの高さがうかがえます。
そんな中にあって彼がダイレクトメディカルケアを担当したスポーツチームのジャンルは、ゴルフやバスケットボールや水泳など枚挙にいとまがありません。
2007年にはアスレチックトレーナーのアソシエイトディレクターを任されることとなり、これまでの経験に基づいた確かな判断力と卓越した指導力でスポーツ医局の臨床開発に多大な貢献を果たしました。
彼の推進したプログラム改革や促進は、スタンフォード式と呼ばれて各方面に影響を与え続けています。
これまでの研究成果をまとめた著書「スタンフォード式疲れない体」は、アスリートたちのバイブルとして高い人気を誇ります。
日本では発売されるやいなや大きな話題となり、すぐに12万部を突破しました。
彼はスタンフォード大学スポーツ医局の中において特に在籍年数の長いベテランですが、一つのスポーツのジャンルに留まることはありません。
長年担当してきたバスケットボールと距離を置き、未知のジャンルである野球に挑むチャレンジャーなのです。
その人柄は?

山田知生のアスレチックトレーナーとしての指導方法は独特です。
ディスカッションを基本としているため、コーチやアスリートとの話し合いが密に行われているのです。
その背景にあるのはアスリートの自主性を第一に考える彼の包容力にあります。
指導する相手とは言え一人の人間として尊重する姿勢は、民主主義が成熟したアメリカで長年学んだことによって形成されており、それを受け入れて自分の物にした彼の柔軟性や知性も評価されるべきポイントです。
彼が考えるコーチの役割は、単にスポーツの技術を教えるということだけではありません。
彼は、コーチというものはアスリート一人一人とチーム全体を上手に調整していくリーダーであるべきだと語ります。
そのために必要なのは、アスリートたちの心身の負担にならない短時間で効率的に練習できるプログラムです。
また、全体練習だけでなくそれぞれの個性に合わせた自主練習も重要な意味を持つと言います。
それを実現するための彼のアドバイスは、専門外の知識も交えた視野の広いものです。
彼がスポーツという限られたジャンルに偏るのではなく、様々な知識を吸収してそれを伝えようと努力するのには訳があります。
スポーツのみならず学問でもトップレベルのスタンフォード大学に入学してきた精鋭たちにより良い教育を与えて育成し、社会に還元していくという夢があるのです。
そのため、進路の選択肢をスポーツ一択に狭めず、その他の道にも進めるように多角的な指導をモットーとしています。
アスリートの人生を実りあるものとして、それによって社会全体を明るくしていくことこそ彼の目指す指導です。
それを実現させるだけの温かな人柄と抜群の行動力は多くのプロスポーツ界で注目を集めており、今後益々の活躍が期待されています。
私は現在,韓国の生命の電話の中で電話相談をしています.
これまで呼吸の重要性を知って1979年2月17日に日本調和道2代協会長の村木弘昌医学博士の著書である”丹田呼吸健康法”を購入して多くの助けを受けていました。
最近IAP呼吸で資料を入手して検討した結果私に大きく役立ち書籍を注文しました。
これから新しい情報があれば連絡してください。