日本のJリーグからフランス・リーグ・アンの名門クラブ、オリンピック・マルセイユまで上り詰めた酒井 宏樹は自らの経験を綴った著書も出版しています。
今回はそんな酒井の経歴と人物像についてみていきます。
経歴

酒井弘樹は1990年4月12日長野県中野市で生まれます。
幼少期に千葉県柏市に移住し、兄の影響でサッカーを始めました。
この頃はフォワードとして活躍していたそうです。
小学校三年生の時に地元のクラブチームに所属し、中学校1年生で柏レイソルU-15に所属。
同期にはJリーグへと進んだ武富孝介や比嘉厚平、仙石兼選手などがいたそうです。
最初は右サイドハーフでプレイしていましたが中学3年生のときから左サイドバックを担当するようになります。
その後2006年にU-16日本代表選出、2009年に柏レイソルトップチームに昇格、2011年にはU-22日本代表入りを果たすなど数々の功績を挙げました。
翌年2012年にはドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96に移籍をし、サッカー日本代表国際Aマッチへの初出場を決めるなど、活躍の場を世界に広げます。
ドイツではロンドン五輪への参加や日本のプレースタイルと大きく異なる戦術への適応に苦しみ、中々試合に出られない時期も続きましたが、それでも持ち前のフィジカルと精神力で、着実に実績を積み重ね、そして2016年には日本人サッカー選手の憧れの地でもあるフランス・リーグ・アンの名門オリンピック・マルセイユに完全移籍を果たします。
この時、周りの反対や批判、自分自身への自信の無さから決断には大分時間がかかったと本人は言っています。
しかし当事日本代表監督であったヴァヒド・ハリルホジッチ監督からの後押しもありマルセイユへの移籍を決めたそうです。
最初の1年はほとんど出番がなく、日本人だからと批判されたりもしましたが、諦めることなく数少ないチャンスを少しずつモノにしていき、マルセイユの中心選手へと成長していきました。
そんな酒井のプレースタイルはスピーディーかつダイナミックなオーバーラップを軸に正確で鋭利な高速クロスパスです。
このプレイスタイルに対して国際サッカー連盟のFIFAは公式サイトでブラジルの有名選手ダニエウ・アウヴェスの日本版であると評価。
またイタリアの新聞紙ゼッタ・デロ・スポルトは右サイド版の長友であると称えました。
サイドバック選手として恵まれた身体を持ち、外国人選手にも負けないフィジカルの強さ、バランスの取れたそのプレースタイルに柏レイソル時代のカルロス・アルベルト・ビメンテウコーチは「アジリティー・パワー・スピード・持久力。どれを取ってもパーフェクトに近い。どんなフィジカルコーチでもあぁいう選手と仕事をしたいと思うだろう」と絶賛しました。
こうして、酒井弘樹は世界が認めたサッカー選手へと成功を収めたのです。
著書から見える人物像

そんな酒井弘樹ですが、自身の経験を記した自書本とでも言うべき著書を出版しています。
その中には順風満帆に見える彼の人生の裏で起きていた葛藤や批判、日本人選手が世界で通用するために必要なメンタルや考え方などを余すところ無く紹介しています。
弱気で人見知りな性格をどのように克服していったか、どうせ日本人だろと比喩されて望んだフランスリーグでどのように今の地位を築き上げていったのか、様々なエピソードを交えながら赤裸々に記しています。
スポーツ選手でなくても参考になるような内容ばかりです。
そして、彼の人物像を象徴しているのが、その本の出版で得られたお金を全額寄付しているところです。
難病を抱えた子供たちを支援する団体であったり、日本のあしなが育英会など彼は世界の子供たちに夢と未来を送り届けているのです。
そんな酒井弘樹の目標はオリンピック・マルセイユでチャンピオンズリーグと国内タイトル制覇だそうです。
彼の夢はどこまでも広がっていきます。
そんな酒井弘樹から今後も目が離せません。
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