インドだからこそ、できた仕事。武鑓 行雄だからこそ、できた仕事。

<script>” title=”<script>


<script>

ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社の社長を務めていた、武鑓 行雄(たけやり ゆきお)。インドのIT界で、数々の業績を残している人物です。

 

主な経歴~インドとの出会い~

 

慶應義塾大学の工学部電気工学科に進学後、大学院工学研究科修士課程まで終業しています。
その後、ソニー株式会社に入社し、NEWSワークステーション、VAIO、ネットワークサービス、コンシューマーエレクトロニクス機器などのソフトウェア開発、設計、マネジメントを行っていました。

武鑓の人生が定まった、ともいえるのが2008年10月。インド南部のバンガロールにて、ソニー・インディア・ソフトウェア・センター責任者となりました。 以前から、視察でいくつかの海外地域を訪れていたそうですが、ソフトウェア開発をするならバンガロールで、と決めていたそうです。そんな中でインド赴任の話があり、快諾しました。最初の一年は日本の業務と掛け持ちしながら、約7年に渡り駐在をし、2015年11月末にソニーを退社。同時に、日本へ帰国しました。

2014年4月からは、NASSCOMの日本委員会に委員長として就任しています。その後も、バンガロール日本人会会長、バンガロール商工会副会長などの経歴を積みながら、活躍し続けているのです。

 

武鑓とバンガロール

 

武鑓さんと切っても切れない関係のインド・バンガロール。まずは、バンガロールについての基本的な情報を紹介します。

都市の面積は、約2,200平方キロメートル。沖縄の面積と同じくらいです。高原地帯のため、インドの中では涼しく、過ごしやすいというのが特徴です。国営軍需産業地、宇宙産業の研究機関、大学などの重要な機関が集まっており、優秀な人材がそろっているという利点もあります。ITでの活躍が世界でも評価されているインドの中で、1990年、IT振興特区として制定されています。

武鑓さん本人も、有名なIT企業の多くがバンガロールに拠点を置いていたことに驚いていました。研究開発組織を持っている企業も多くあり、この土地のIT業界に対し、レベルの高さを評価しています。

現在は、若者たちの活躍が目覚ましく、1000社以上ののスタートアップが活動しています。また、欧米企業のインド開発拠点は、本国向けの製品からインド向けの製品へと、市場を変更しています。この勢いの良さも、武鑓さんは高く評価しています。

それでは、この地で武鑓さんが行った代表的な業務について紹介しましょう。
彼は、インドでマイナンバーを発行するためのプロジェクトに携わりました。このナンバーは、2013年時点で国民の3分の1以上にあたる約5億人が登録しています。登録は任意性ということから、彼の仕事がインドで役に立っていることがわかるでしょう。氏名、住所、写真、10本指の指紋、眼の虹彩からなる、12桁の数字で構成されています。

武鑓さんはインドの貪欲で多層的なイノベーションを高く評価しています。そのため、マイナンバーはインドの貧しい層にも役立つよう作られました。実際、簡単に個人が特定できるようになったため、新たに銀行口座を開設できるようになった人も多いそうです。希望者のみ、無料で登録することができます。
日本のマイナンバーのように、メリットも見えないまま、上から目線で持たせても誰も共感しない、と氏は語っています。使用する人の立場になって、どんなものが求められているのか考えながらシステムを作る。そのような思想が、広く評価されたのでしょう。

日本人の中では、インドは先進国というイメージが強いでしょう。しかし今、バンガロールは”インドのシリコンバレー”と呼ばれるほどに成長しています。そんな土地の多様性を知ってほしいとの思いから、武鑓さんはインドを舞台にしたビジネス書を書いたそうです。洗練された土地、バンガロールのIT業界で活躍を続ける武鑓さんを今後も応援していきたいです。

「インド・シフト」を読んでのレビュー

2018年6月5日







コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です